茶道がもっと楽しくなる 五感で感じるお茶書籍。
お茶を、かれこれ5年ほど習っています。
始めた動機は
「日本文化の結晶といえるお茶を学びたかった」
なんて、カッコいいものではなく。
(というのも、そんな風に言われても、頭で「そうなのか」と思うばかりで、一体全体、日本文化って言われてもピンとこない。)
「おいしい和菓子が食べたかった」なんて不純なものです。
それが、あれよあれよと深みにハマり、先日の合宿で
完全にノックアウト。
今では、一生涯かけて学んでいきたい存在。
今日は、私が読んだ中で、茶道がもっと楽しくなる書籍をまとめます。
増えたら追記。
茶道を五感で感じる書籍
日日是好日ー「お茶」が教えてくれた15のしあわせ
日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)
- 作者: 森下典子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/10/28
- メディア: 文庫
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実は、私のブログのタイトルは、この本を読んで感動したところから取っています。非常に有名な禅語ですが、この本を読んで、さらに好きになりました。
こちらは、著者である森下典子さんが、お茶のお稽古を通して感じたことが徒然と書かれています。
途中著者は、お茶が本当に楽しいのかわからない。しんどい。と、悩み迷う時期があります。そんな場面が、まさに私。「しんどいし、よくわからない」とちょうど思っていた時に、この本に出会ったことで、励まされ、お茶の楽しさを思い出させてもらいました。
専門的すぎず(あんまり専門的だと、私もよくわからなくなる)読むだけで、やわらかな畳の香りが漂ってくるような、そんな本。疲れた時に読みたいバイブルです。
且坐喫茶
且坐喫茶とは「まぁまぁ、とりあえず、座ってお茶でも一服いただきましょうよ。」という意。そんな、忙しい毎日の中、ふと立ち止まらせてくれる書籍。
著者が男性だけあって、男らい視点でお茶室を楽しんでいる様が興味深かった。著者が実際に行ったお茶会の様子が、様々な記憶と結びつきながら展開されていく。
たしかにお茶室に座っていると、不思議とそんな状態になる。浮かんでは消える様々な記憶と、現在が交差していくお茶席。自分は今どこに(どの時点に)いるんだろう、と考えてしまう時がある。
そんなことを考えていると、畳のヘリをお茶碗が越えてくるので、慌てて頂きに向かうのです。
茶道実用手帳
こんな便利なものが、あったのか。あったのですね。
年間カレンダーには、主だったお茶席が書かれていて、旧暦の暦や月の満ち欠けもバッチリ。さらには、歴代家元の花押や、お道具の形の名前まで書かれているので、辞書として大活躍。
お茶会や、お稽古のメモや「この形、なんて名だろう?」なんて時も便利。銘がわかれば、さらに面白くなるお茶。茶会記書く時に大活躍してます。
茶道百科ハンドブック
茶道百科ハンドブック (茶の湯 便利手帳 1) (茶の湯 便利手帳 ?)
- 作者: 竹内順一
- 出版社/メーカー: 世界文化社
- 発売日: 2010/10/16
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そして、茶道実用手帳をさらに専門的にしたかったら、こちらの辞書がおすすめです。禅語から家系図まで、ありとあらゆる事がかかれています。初心者から、ベテランまで、使えるハンドブック。禅語とかよんでるだけで面白いですよ。
現・旧 社会主義国の旅行体験談を話す事になりました。推薦書籍や映画。
共産圏旅行趣味が高じて、今まで行って来た社会主義国の旅行記トークショーをすることになりました。
もちろん、すべての国に足を踏み入れたわけではないのですが、
キューバ・北朝鮮・中国・ロシア・バルト三国・ベトナムあたりなら行った事があるので、実際に行った事がある人しか見られない・感じ得ない情報があるのかな、と思い、引き受ける事にしました。
実際にただ観光するだけでは面白くないので、旅行中、旅行前後は、書籍などでいろいろ知って楽しみます。
今回は、リアルに学んで理解ができる推薦書籍・映画をまとめます。
また、増えたら追記していきます。
現代史全般をわかりやすく理解する
学校では教えない「社会人のための現代史」 池上彰教授の東工大講義 国際篇 (文春文庫)
- 作者: 池上彰
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/11/10
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いわずと知れた、池上彰さんの、超分かりやすい、超初心者向け、現代史書籍。これは、共産以外の現代を深く知るのに役立つ書籍なので、おすすめです。
中国
祖母の時代(清朝末期)から、母の時代、娘の時代の3世代にスポットを当てて、王朝崩壊から、独裁政権、文化大革命を生き抜いた、中国の1庶民の生き様が描かれています。歴史書や、文献などでは、到底知り得ない、リアルな庶民の声が描かれていて、矛盾や無常の時代にでもたくましく生きる主人公が描かれています。
中国現代史を庶民目線で深く理解する、一作。
中国では、上映禁止になるなどして、大きな反響を受けた作品。毛沢東の、文化大革命で被害を受けた人々が、強制労働所でどのような仕打ちをうけたか、リアルな姿が描かれる。表紙にて跪く人は、実際に文化大革命にて強制労働所で働いていた人。悲哀に満ちた姿が印象的。
こちらも、文化大革命をテーマにした映画。文革では、もちろん、京劇などの娯楽も「人民の敵!」として、迫害の対象に合う。美しい、京劇を演じる人々の物語。
中国の、経済の解放による、都市と地方の急激な格差を、教育面から追った映画。いまだに田舎ではこれが現実であるらしく、経済発展著しい中国の都市部を知る私にとっては、衝撃的な姿だった。
ロシア
- 作者: ジョージ・オーウェル,George Orwell,高畠文夫
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1995/05
- メディア: 文庫
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旧ソ連の体制を、動物農場に見立てて、非常にわかりやすくパロった作品。ベストセラーになるだけあって、わかりやすく、そして、酷い世界が広がっている。
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/07/18
- メディア: ペーパーバック
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動物農場に続き、社会主義のような、計画国家が、さらに進んでいくと、こういう姿になるのではないか?といったような物語。非常にリアルで、ありえないようで、ありえそうな計画国家の姿が垣間見える。
スペイン戦争を舞台にし、共産党が、世界に及ぼした影響をわかりやすく描かれている。 世界中を赤に染めようと、他国の戦争をダシに立ち回る共産党。その共産党に振り回されるスペイン。実際にスペイン軍に従事した著者のリアルな話がつづられる。
北朝鮮
- 作者: 河泰慶,李英和,崔炳善
- 出版社/メーカー: ティー・オーエンタテインメント
- 発売日: 2011/07/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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金正恩の人生や、どのようにして生きてきたかが描かれる。わかりやすいのでおすすめです。
生きるための選択 ―少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った
- 作者: パク・ヨンミ,満園真木
- 出版社/メーカー: 辰巳出版
- 発売日: 2015/11/20
- メディア: 単行本
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食べるために脱北した少女の物語。実際に北朝鮮の貧しい農民たちがどんな暮らしをし、何を考え、思っていたかがリアルに描かれている。たとえ北朝鮮を逃れられても、そこに待つのは、さらに過酷な場所。自らのプライドや純潔が容赦なく奪われる、そんな運命にもめげずに、必死に生き抜く姿が描かれている。
また、北朝鮮は、こちらのブログが非常に詳しいのでオススメです▼
キューバ
ベトナム・カンボジア
カンボジアのポルポト政権が行った大量虐殺で何が起きていたのか。カンボジアの伝統的な人形をつかって表現します。
トークショーを終えて。所感。
そもそも、興味のある人は思った以上に多かった。
専門家ではないので、もっと旅行体験談重視でもよかったかも知れない。ちょっとしたエピソードを交えた方がウケた。
社会主義国括りなら、「各国の旅行体験談」をでまとめてもよかった。
___
このように、自分の経験をシェアすることは、今後も積極的に挑戦したい。
表千家短期講習会 無事卒業。人生においてとても大切なことを学んだ一週間。
先日書きました、短期講習会。無事卒業し、昨日帰宅しました。
まさに修行のような毎日で、帰れば即寝するほどクタクタになりましたが、夢のように美しい時間でした。
この感動をなるべく忘れたくない。そう思って、帰りしなに伊勢丹で小山園さんのお抹茶(春限定)と、和久傳さんの西湖を買って帰りました。
今日は、内容と所感について、書き残したいと思います。
また、これを読んで、「私も行ってみたい!」と思う方が少しでも増える事を願って。
概要
期間:3月3日〜3月9日までの約一週間。
京都表千家家元近くにある妙顕寺という日蓮宗系お寺に寝泊まりし、お稽古・座学に励む、お茶三昧の講習会です。
細かい事は、こちらのブログが詳しかったので、よかったらご参考ください▼
暮らしぶり
とにかくゆっくりする時間はあまりありません(とくに女子は)修行です。
朝5時50分から始まる妙顕寺のお勤めに参加し、掃除し、急いでご飯を食べた後は、ダッシュで着物に着替えて講習会場へ向かいます。稽古場へ向かえば、今までにない緊張感と正座の時間。
ご飯や掃除、あと休憩中に毎回ある点て出し、お稽古準備などは、それぞれ班ごとに当番制となってます。各班が連携して、全員で準備や掃除を終えます。
このとき、例えば、自分の班が話しながらダラダラとご飯を食べていれば、片付けが遅くなり、ご飯当番の班の着替える時間がどんどん短くなります。自分の行いが、後々、どんな風に周りの迷惑になるのか、考えさせられます。状況把握しながら、行動しなければならない事が学べます。自分勝手が許されないのが、集団生活だと再度気付かされます。
また、私は冬でした。お寺での寝泊まりですので、もちろん非常に寒いです。防寒はしっかりした方がいいです。朝のお勤め時間も、5時50分とかですので、まだ暗いうちから行動開始です笑。
しかし、寒い分、夜に入るお風呂が至福のひととき。最高です。また、朝もキリッとした空気の中、ちょうど、東雲くらいの空が東山の方に眺められるのも、感動的な景色です。
携帯など、余計な情報がない分、そういった環境の変化に気づける幸せがありました。
また、たくさんの豪華な講師の先生方からお話を聞ける機会・触るだけでも恐縮してしまいそうになる、何百年と愛されつつけてきた本当にいいお道具に触れる機会・京都のおいしいお菓子を惜しみなく食べさせてもらえる機会が得られます。
それだけでも、単純に、嬉しく、楽しい時間でした。
お点前
すごい緊張感の中で稽古は始まりました。
非常に高名な方にお点前を見てもらう緊張感といったら…。息も上がるし動悸がとまりません。先生の顔がなんども浮かび、「大丈夫。先生にいつも見てもらっているようにすればいい。大丈夫。」と先生に祈るような気持ちで、自分を制して必死でお点前しました。
終わったあとは、やりきった!今までにないくらい、心をこめてお点前をした!という達成感と、あんなに先生にいつも見てもらっているのに、できないところがあった…という悔しさが同時に押し寄せてきて、涙が溢れてきました。
あぁ、私は、お点前(しかも薄茶)はある程度できるものだと思っていたのに、こんなにもできなかったんだ、と気付かされました。
確かに、今までのお稽古、こんなに必死にやっていたのか?と考えると、まだまだ甘い部分があったようにも思いました。
所感
もう、感動した事が多すぎて、まだうまく咀嚼仕切れてないのですが
なんというか。お茶は生涯をかけて学んで行きたいし、幸せに生きていくヒントをもらったように思います。
いろんなエピソードがありました。その中でも特に心に残った事▼
*一期一会:お茶を点てるという事は、二度と来ないこの時を、手を抜かず一生懸命、お客さんのために、心をつくす事。お茶室の設えから、お道具から、所作から、気遣いから、全てがお客さんのために心をつくす。これは、仏教で考えると、人のために尽くす善業を増やす行為に通じる。
また、お茶事が終われば、いつまでも名残惜しく残るのではなく、少し残心がある方が良い。お客さんを見送った後は、「お客さんは無事に帰ったかな」「あの人と過ごせて楽しかったな」と、そのお茶室に残る残像・余韻を楽しみながら、一人静かにお茶を一服いただく。
この、優しく美しい心づかいと、桜のような儚さが、なんとも言えなく切なくて、危うく涙がでそうなほど感動しました。
*大げさに派手に、奇を衒う茶を点てるのではなく、極めて普通にお茶を点てる。そういった装飾(無駄)を省く事で、日常の小さな幸せがより感じられるようになる。
これは、どんな条件(環境)にあっても、幸せに過ごすための、大きなヒント。そのヒントがこんなところにあったとは。なんだかハッとさせられました。
事実、茶室の景色というのは、日常なら気にしないような、その釜の湯気さえも美しく見えるから不思議です。そのお客さんのために用意された” 季節感 ”を楽しむ事ができる空間が茶室なのです。
そして、「無駄がない」という事は、逆に「すべての動き(もの)に意味がある」という事。その全てに亭主の心づかいと意味が隠されていて、お客さんとしては、それを少しでも汲み取れる力をつけたいものです。
そういった感性を身につける事で、きっと何気ない日常を、幸福で充実した気持ちで過ごす事ができるのではないかと、思うわけです。
お茶の世界というのは、本当に美しいですね。人との付き合い方・ライフスタイルに対する考え方、いろんな気づきがありました。すべてがこれはほんの一部。その他にも、今まで疑問に思ってきた事や、どう解釈していいのか分からなかった事もたくさん学ぶことができました。
日常に忙殺されることが増えると、”幸せになるための暮らし方”を、つい、うっかりと忘れてしまいます。私は働いている間に、良くも悪くも、忘れちゃっていたように思い、もう一度、この感覚を思い出したいと思いました。
自分でも自分がよく分からなくなっていたこのタイミングでの、この気づきは、私にとっては大きな糧となりました。
説似一物即不中
お稽古中に、掛物として出てきた、こちらの禅の言葉にもありました。説似一物即不中。(意:いくら、言葉にしようとしても、実際に体験した人しかわからない・伝わらない事がある。言葉で説明しようとしても的外れになってしまう。)
この言葉が表すように、この感動・衝撃は、どんな言葉に表してみても、伝えることは難しい。
でも、お茶の後輩さんで、「最近、お稽古も楽しいのかよく分からない」「なんでそんな風にするのかがわからない」「そもそも人生がよくわからない。私はこのままでいいのか。」そんな風に悩まれてる方がいたら、是非参加してみてほしい。
きっとそこには、茶の湯における気づきだけでなく、自分の人生において、大きな気づきをもたらしてくれると思います。
*
講習会中、たくさんの教えを与えてくれた先生方、本当にありがとうございました。たった一週間ではありましたが、師匠というのはこういう事をいうのかな、と思いました。この感謝は伝え尽くせないですが、この場をかりてお礼申し上げます。
表千家 茶道 短期講習会に行ってきます。
今日から1週間、お茶の短期講習合宿に行ってきます。
京都上京のお寺に泊まり込みで、まさにお茶づくしの日々。
今朝の冷え込みに若干ビビりながらも、あらゆる情報から離れて、シンプルにお茶に徹する時間がつくれる事がとても楽しみです。
先輩からも、めっちゃ勉強になるから!と勧めてもらって、はや数年。
やっと機会を得ました。
エアコンもなく、携帯も使えない、修行のような日々になってきますが、
私はどうやら、たまーに、こういう修行の場を好むようで。
なにか、きっと、理由があるんでしょうが、
もうすぐ着くので、詳しい検証はまた今度。
主婦の妄想炸裂絵日記。生活に取り入れたい「センスいいタイの食」と「インテリア」
2月に毎年夫婦で、タイのチェンマイに通っています。
何回きても、チェンマイはいいですね。バンコクほどゴミゴミしてないし。いい具合の田舎。
でも、ちょっと歩いたら、食事どころも、ショッピングも、ムエタイも楽しめます。
さらに2月は乾期なので雨も降らず、暖かくて最高です。
今日は、そんなチェンマイで、見つけたセンスのいいインテリアや食事を
「ぜひ生活に取り入れたいよ。」という、私の妄想話を書きます。
妄想その1:料理編
衣が画期的な唐揚げ
こちらのお店の、この鳥の唐揚。衣が、すりおろし生姜になっています。
すりおろし生姜とともに揚げているような状況です。
鶏肉と一緒に食べると、サクサクで美味。
さらに、緑の葉(多分レモングラス?かな?わからない。)さっぱりした葉も一緒に素揚げ。
これはなかなか、私の中ではかなりの革命料理です。
糖質制限している我が家には、衣の制限ができて、好ましい調理法。今度挑戦してみたいです。
コーヒーの器がかわいいカフェの器
あるオシャレカフェにて出てきたコーヒーの器。かわいすぎました。
これもこんどやってみたい。
サラダが美味しいカフェのサラダ
ここも、めちゃオシャレカフェで出てきたサラダです。詳しくはこちら
我が家でも、よくサラダ作りますが、私はサラダを素敵盛り付けるのが下手です。どうしてもダサ目の盛り付けになります。
ちょっと素敵に見せるためには、たくさんの種類の野菜を用意しないとそれっぽく見えません。
それが、このお店ではたった一種類の葉っぱの種類で、目も味も美味しいシーザーサラダに仕上がっています。
何なのでしょうか。すでにドレッシングで和えた状態で出されるからでしょうか?その上にチーズやクルトンをシャレオツにかけるからでしょうか?さらには、飾りの2枚の葉だけ、ドレッシングには和えずに、そのまま素材の味を楽しむ仕様になっているからでしょうか?謎は深まるばかりです。
とにかく、今度近しいものをトライしてみようということです。何かがわかるかもしれません。
レモンの香りがこうばしい、イカリング
こちらも、シーザーサラダと同じお店なのですが、また出ました。揚げ物×緑の葉っぱの素揚げです。
揚げ物と一緒に食べると美味な、この緑の素揚げ。さっぱりするだけでなく、緑の色が加わって、茶色い料理にならないのも魅力です。
この正体は何なのでしょうか?レモングラスっぽい味なんですが、葉っぱの形が、全然違います。レモングラスなら、もうちょっと、ススキの葉のような形のはずです。なになんでしょう。得体はしれませんが、とにかく美味しいです。
妄想その2:インテリア編
ベランダにおきたいおしゃれな提灯
タイの家には、こういう提灯がぶらっと飾られています▼
これ、いいですね。玄関とか、もしくはベランダに飾りたいですね。
ちょっと古民家系の家にはぴったりだと思うんです。
光悦垣みたいなので囲って雰囲気だしたベランダに、椅子とか置いて、この提灯を一個だけ飾りながら、モヒート飲みながら本とか読みたいですね。
いいなぁ。そんな夏。
妄想は膨らむばかりです。
畳の部屋に置きたいタイ特有のマットレス
タイで有名な三角のマットレス▼
これ、素敵ですね。
和室にも合いそうやし、リビングでダラダラするときに使いたいです。
これをダラっとしいて、映画とか見たいですね。
赤漆の御膳テーブル
これ▼この発想、ちょっと私にはなかったな。
最近漆の道具に興味があって、まずは器から揃えてるんですが、
赤漆の台。めっちゃいいですね。
和室におきたい。まさに、上の三角のマットレスの真横に置いて、ビールとかのせたい。
ビールとイカリングフライつまみながら映画とかみたいですね。
「本は出会いだ」と、いつか、誰かから聞いた。
つい三日ほど前にタイから帰国しました。
帰国後翌日に引っ越し。
主人は沖縄へ。(こちら)
私は祖父の家にしばらく居候します。
祖父の家には、大学4年間住んだことがあり、
そりゃもう、慣れた場所なんですが。
そのせいで、当時(もぅなん年前だろう…フフフ…)
私が使っていた服やら本やら、
カラーボックス3個分くらいドーンと鎮座しているわけです。
我が家(結婚後)は、引っ越しが多いこともあり、
「使っていないものは処分する(略して断捨離)」がブームなので
いそいそと当時の自分のものを処分する作業を始めました時の話です。
PHOTO by cdn.pixabay.com/
本の精査中に気付く…。あれ?もうワクワクしない。。。
置きっ放しの本(もはや何が置いてあったかすら覚えていない)は
容赦なく、古本屋か、処分。
その代わりに、引っ越しの際に連れてきた本を空いたスペースに収めながら、
再度、連れてきた本の精査もしていたのですが…
「あれ?変だな?あんまり…もうワクワクしない…?」
そうなんです。
当時(学生時代や、社会人)あんなにワクワクしながら読んでいたその本。
今、読んでみても、なんかピンとこない。
むしろそのピンとこない本を読む時間は、違う新しい本を読む時間に当てたい。とまで考えるしまつ。
過去の思い出に浸るためだけの本が、間違いなくある。
過去には、間違いなくその本にハマってハマって読みまくってた時期があったんです。もしくは、深い思い出とリンクしている本だったんです。
でも、今、過去とは大きく環境が変わった今。
あんなに愛したその本も、もはやそこまで心に響かないのは。なんたること。
少しせつない気持ちになる私です。
自分にとって、その本の魅力は、今(もしくはこの先)の感動なのか、それとも昔の思い出に浸るためなのか。
私がその本を「残す」と判断する瞬間。
それは、今(もしくはこの先)読んで得られる感動のために「残す」と思ったのか。
それとも、過去(あの時)本当にワクワクしながらよんだなぁという思い出のために「残す」と思ったのか。
私にとって、服より判断が難しいのが「本」です。
客観的に見なければ、なぜ「残す」と判断したのかが、一瞬にしてわからなくなってしまう。
時代も、自分の環境も変わる。自分がその本に求めるものも変わる。
せつないですが、
あんなに愛した本も、思い出深い本も、自分が変われば、その本に対して求めるものは変わります。
昔は読めた本でも、今では読めない事はあるのです。
また、もう一度、その本を求める時期が出てくるかもしれませんが、
それは、もう何年先の事か分からなければ、本当にそんな時期が来る保証もありません。
過去の思い出に浸るためだけの「過去の思い出本」ばかりになってしまってはナンセンスです。
今を生きていない。
昔の思い出をモノで残すようなことをしだすと、それこそモノだらけになってしまいます。
一旦自分の元から手放すという判断も必要かもしれません。
「本は出会いだ」と、いつか、誰かから聞いた。
いつか、誰かに言われました。
「本は出会いだ」と。
「あっ!」と思っても、それを手にしそびれたら、
もう出会うチャンスはなくかもしれないよ。と。
高校の頃、国語の先生に言われました。
「今しか読めない本があるよ。」
「その時しか感じられない事があるよ。」と。
聞いた時は、正直ピンとこなかった。
「そんな事があるのかなぁ?」
それくらい。
随分昔に、誰かに言われた事。国語の先生に言われた事。
今頃、やっと、腹におちた。
昔、こんなに好きだった本に、感動できなくなった自分に、
一抹の切なさを感じつつ。
一期一会であるからこそ、
常々新たな出会いを求め続けたいものです。
「過去の思い出本」に浸って、過去を生きるんじゃなくて
今を生きる本ための本を求め続けたいものです。
なんだか。話がブレブレましたが。
そんなことを思った今日。
苦海浄土〜わが水俣病〜 石牟礼道子 読了
つい、先々月かに初めて訪問した
偏りすぎる事なく、両論併記された非常に質の高い資料館だったと思う。現代の日本の発展がどのような形で、犠牲で、成り立ってきたか。当時としては、チッソなしでは得られなかった、輝かしい国や市の発展の歴史の裏側にある、影を知る手掛かりとして、とても興味深い。
もはや豊かな時代に生まれた私なぞには、知り得ない事実が紹介されていた。日本人として目を背けず、訪れるべき場所だと思った。
詳しい訪問レポはまた次回旅ブログで書くとして、その資料館で紹介されていた苦海浄土を今頃ですが読み上げました。
工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき“いのちの文学”の新装版。
水俣病患者の、一人一人の人生を、さらに深く追った、まさに鎮魂の作品。両論併記かどうかの評論はさておき、これを読んで、心を打たれない人があろうか。
ありきたりな言葉だけど、豊かな日本が生まれた裏には、こんなに尊い命の犠牲があった事に、言い知れぬ皮肉を感じる。
また、この作品を読んで強く感じた事は、無知であることの恐ろしさ。
現代視点で振り返ったところで、栓無きことではありますが、猫や、海、臭いに、日常とは違う、不審な様子は現れていたようです。
人類史史上初となる水俣病事件。明日は我が身で、史上初の事件が起きる時というのは、恐らくは今でも、ゆるゆると序章が現れ、そして突然に起きることなのでしょう。
周りに流されるだけでなく、自身が置かれている状況は自らの意思で判断して、場合によっては環境も変えるような、、、そんな形でしか、きっと、無力な私は、大切なもの、家族を守れないなと。そんな風に思った次第です。