表千家短期講習会 無事卒業。人生においてとても大切なことを学んだ一週間。

先日書きました、短期講習会。無事卒業し、昨日帰宅しました。

まさに修行のような毎日で、帰れば即寝するほどクタクタになりましたが、夢のように美しい時間でした。

この感動をなるべく忘れたくない。そう思って、帰りしなに伊勢丹で小山園さんのお抹茶(春限定)と、和久傳さんの西湖を買って帰りました。

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今日は、内容と所感について、書き残したいと思います。

また、これを読んで、「私も行ってみたい!」と思う方が少しでも増える事を願って。

概要

期間:3月3日〜3月9日までの約一週間。

京都表千家家元近くにある妙顕寺という日蓮宗系お寺に寝泊まりし、お稽古・座学に励む、お茶三昧の講習会です。

細かい事は、こちらのブログが詳しかったので、よかったらご参考ください▼

表千家短期講習会に参加して|ムラタマサユキ|note

暮らしぶり

とにかくゆっくりする時間はあまりありません(とくに女子は)修行です。

朝5時50分から始まる妙顕寺のお勤めに参加し、掃除し、急いでご飯を食べた後は、ダッシュで着物に着替えて講習会場へ向かいます。稽古場へ向かえば、今までにない緊張感と正座の時間。

ご飯や掃除、あと休憩中に毎回ある点て出し、お稽古準備などは、それぞれ班ごとに当番制となってます。各班が連携して、全員で準備や掃除を終えます。

このとき、例えば、自分の班が話しながらダラダラとご飯を食べていれば、片付けが遅くなり、ご飯当番の班の着替える時間がどんどん短くなります。自分の行いが、後々、どんな風に周りの迷惑になるのか、考えさせられます。状況把握しながら、行動しなければならない事が学べます。自分勝手が許されないのが、集団生活だと再度気付かされます。

また、私は冬でした。お寺での寝泊まりですので、もちろん非常に寒いです。防寒はしっかりした方がいいです。朝のお勤め時間も、5時50分とかですので、まだ暗いうちから行動開始です笑。

しかし、寒い分、夜に入るお風呂が至福のひととき。最高です。また、朝もキリッとした空気の中、ちょうど、東雲くらいの空が東山の方に眺められるのも、感動的な景色です。

携帯など、余計な情報がない分、そういった環境の変化に気づける幸せがありました。

また、たくさんの豪華な講師の先生方からお話を聞ける機会・触るだけでも恐縮してしまいそうになる、何百年と愛されつつけてきた本当にいいお道具に触れる機会・京都のおいしいお菓子を惜しみなく食べさせてもらえる機会が得られます。

それだけでも、単純に、嬉しく、楽しい時間でした。

お点前

すごい緊張感の中で稽古は始まりました。

非常に高名な方にお点前を見てもらう緊張感といったら…。息も上がるし動悸がとまりません。先生の顔がなんども浮かび、「大丈夫。先生にいつも見てもらっているようにすればいい。大丈夫。」と先生に祈るような気持ちで、自分を制して必死でお点前しました。

終わったあとは、やりきった!今までにないくらい、心をこめてお点前をした!という達成感と、あんなに先生にいつも見てもらっているのに、できないところがあった…という悔しさが同時に押し寄せてきて、涙が溢れてきました。

あぁ、私は、お点前(しかも薄茶)はある程度できるものだと思っていたのに、こんなにもできなかったんだ、と気付かされました。

確かに、今までのお稽古、こんなに必死にやっていたのか?と考えると、まだまだ甘い部分があったようにも思いました。

所感

もう、感動した事が多すぎて、まだうまく咀嚼仕切れてないのですが

なんというか。お茶は生涯をかけて学んで行きたいし、幸せに生きていくヒントをもらったように思います。

いろんなエピソードがありました。その中でも特に心に残った事▼

*一期一会:お茶を点てるという事は、二度と来ないこの時を、手を抜かず一生懸命、お客さんのために、心をつくす事。お茶室の設えから、お道具から、所作から、気遣いから、全てがお客さんのために心をつくす。これは、仏教で考えると、人のために尽くす善業を増やす行為に通じる。

また、お茶事が終われば、いつまでも名残惜しく残るのではなく、少し残心がある方が良い。お客さんを見送った後は、「お客さんは無事に帰ったかな」「あの人と過ごせて楽しかったな」と、そのお茶室に残る残像・余韻を楽しみながら、一人静かにお茶を一服いただく。

この、優しく美しい心づかいと、桜のような儚さが、なんとも言えなく切なくて、危うく涙がでそうなほど感動しました。

*大げさに派手に、奇を衒う茶を点てるのではなく、極めて普通にお茶を点てる。そういった装飾(無駄)を省く事で、日常の小さな幸せがより感じられるようになる。

これは、どんな条件(環境)にあっても、幸せに過ごすための、大きなヒント。そのヒントがこんなところにあったとは。なんだかハッとさせられました。

事実、茶室の景色というのは、日常なら気にしないような、その釜の湯気さえも美しく見えるから不思議です。そのお客さんのために用意された” 季節感 ”を楽しむ事ができる空間が茶室なのです。

そして、「無駄がない」という事は、逆に「すべての動き(もの)に意味がある」という事。その全てに亭主の心づかいと意味が隠されていて、お客さんとしては、それを少しでも汲み取れる力をつけたいものです。

そういった感性を身につける事で、きっと何気ない日常を、幸福で充実した気持ちで過ごす事ができるのではないかと、思うわけです。

 

お茶の世界というのは、本当に美しいですね。人との付き合い方・ライフスタイルに対する考え方、いろんな気づきがありました。すべてがこれはほんの一部。その他にも、今まで疑問に思ってきた事や、どう解釈していいのか分からなかった事もたくさん学ぶことができました。

 

日常に忙殺されることが増えると、”幸せになるための暮らし方”を、つい、うっかりと忘れてしまいます。私は働いている間に、良くも悪くも、忘れちゃっていたように思い、もう一度、この感覚を思い出したいと思いました。

自分でも自分がよく分からなくなっていたこのタイミングでの、この気づきは、私にとっては大きな糧となりました。

説似一物即不中

お稽古中に、掛物として出てきた、こちらの禅の言葉にもありました。説似一物即不中。(意:いくら、言葉にしようとしても、実際に体験した人しかわからない・伝わらない事がある。言葉で説明しようとしても的外れになってしまう。)

この言葉が表すように、この感動・衝撃は、どんな言葉に表してみても、伝えることは難しい。

でも、お茶の後輩さんで、「最近、お稽古も楽しいのかよく分からない」「なんでそんな風にするのかがわからない」「そもそも人生がよくわからない。私はこのままでいいのか。」そんな風に悩まれてる方がいたら、是非参加してみてほしい。

きっとそこには、茶の湯における気づきだけでなく、自分の人生において、大きな気づきをもたらしてくれると思います。

 

講習会中、たくさんの教えを与えてくれた先生方、本当にありがとうございました。たった一週間ではありましたが、師匠というのはこういう事をいうのかな、と思いました。この感謝は伝え尽くせないですが、この場をかりてお礼申し上げます。