理想の隠居(老後)生活。

先日、散歩をしながら、老後の理想について色々と思いをめぐらしてみました。

 

老後の心配の話はよく聞きますが、

じゃあ、自分はどんな老後が理想なのか、あんまり考えないのではないでしょうか。

日々「死」に近づき「死」を意識する「老後」。

 

私は一体、どんな形で人生を終えたいのか、

自分の理想の隠居生活がどんなものか見えてくると、シンプルに、自分は本当は何に向かって進んで行きたいのか、見えてくる気がします。

f:id:tama222111:20170607214124j:plain

PHOTO by https://pixabay.com/ja/

結局、私が幸せに死ぬために必要なのは人だった。

家族と変わらず幸せな時間を過ごしたい。

友人と変わらず幸せな時間を過ごしたい。

 

とても抽象的な表現ですが、究極を考えると、以上に尽きます。

 

主人と友好な関係を保ち、

親しい友人をもてなす、少しのモノと技術があれば、

きっと幸せな時間を作る事ができる。

そのために必要なモノは案外少ない。

4畳半くらいの床の間付きの和室に、

1セットのシンプルなお茶道具と着物。

料理を引き立てる1セットの応量碗。

10着くらいの服。

友人に手紙を書く文庫箱。

シンプルな基礎化粧道具。

ヨガや瞑想ができるマット。

 

以上のような、人と繋がれる空間と、少しのもてなしの道具があれば、十分じゃないかな、と思う。

でも、欲深い私は、今でこそ、欲しいものがたくさんあるのが事実。

欲しいモノは、物質的なモノだけではありません。

愛情、名声、賞賛…あげればキリがない。

 

でも、同時に、死ねば全ては無になります。

私が追い求めているモノって一体何なんだろう。

 

ましてや、死ぬ直前まで、たくさんのモノに執着するのは、なんて無常なんだろう。

 

考え方のヒントをくれる茶道や瞑想、仏教の世界。

私にこの考え方のヒントをくれたのは、茶道や瞑想、仏教の世界でした。

それぞれに、あまり境界線はないのですが、

強いて言えば、

 

仏教:全体的な世界観

瞑想(ヨガ):心と体のありかた

茶道:具体的な空間の使い方や作り上げ方

 

こんなところでしょうか。

最終地点を考えると本当に大切なものが見えてくる。

主人との友好な関係を築く

友人をもてなして楽しい時間を過ごす

 

そのために今から何を学び、何に時間を費やすべきか、

着地点の想像がつけば、何をするべきか・したいかが見えてくるように思います。

 

まだ、学びの途中ですが、これからも深く追求していきたい分野です。

 

そして、さらに、しっくりくる、理想を想像して、また楽しみたいな。