お茶人が認める京都の美味しい和菓子屋一覧。お中元・お歳暮もこれで安心。
京都を離れる前に、色々と、忘れないようにチェックしておきたいものがいっぱいあります。
いざという時に、贈答用に使える、美味しいお菓子は知っておいても損はなしです。
今回は、お茶の先生に贈答用に使っても大丈夫そうな
(つまり舌が肥えた方でも大丈夫そうな)しっかりした和菓子と和菓子屋一覧です。
先日の、短期講習で教えてもらったものも多いので、ほんまに固い品々ばかり。
お中元・お歳暮・御礼で悩んだ時は、ここからチョイスすれば間違いありません。
鎰屋政秋
大正9年創業。本家寺町二条にあった鎰屋延秋からののれん分けによる創業。本家は戦時中の悪事情から今は店を閉じている。継手のいない鎰屋延秋の技術や伝統を引き継ぐ形で、鎰屋政秋は店を構えている。
ときわ木
表千家合宿にていただいたお菓子。大正三年御大典の際に、名も味も優れていると、献上されていた和菓子。中生とか半生といっていい種類だが、しっとりとしているのに日持ちがよい。
丹羽あずきの皮のうすいのをふっくりと炊いて、砂糖を加え、寒天と寒梅粉を合わせ、みじん粉をつけながら薄く板状にし、たんざく型に切って、一文字がまでこんがり焦げ目がつくように焼く。古代紫色のあずきの香りが品良く、控えめな甘みがたまらない一品。
黄檗
政秋では「黄梁」であったお菓子。延秋は餅羊羹というこの種のお菓子が得意。それを受けて、政秋もまた、餅羊羹が得手。稲垣華雪画伯が、黄檗のうろこ形をうまく納めるために八角形の菓子箱をデザインしている。
栗を粉に挽いて蒸し、寒天と砂糖を加えて固め、三角の鱗型に切り、きな粉をまぶしてある。香りがよく、生地がなめらかで、むっちりと美味。鱗型も優雅。
其あと
鎰屋延秋ゆずりの最中。名の由来のように、むかしの文人の使った印判や篆判などの古い文字を最中の皮にデザインに使っている。餡が多くて食べ応えがある。
益寿糖
昔、京都に薬菓子として存在した、王母仙方”益寿糖”というのがあったが、それは鎰屋政秋にも伝わっている。丁字・肉桂・こしょうなどが入っていたと言われるが、今では肉桂だけを入れて、むっくしとした味に仕上がっている。享保年間に完成したといわれる。
末富
麩焼きのせんべいにしても、大ぶりの生菓子にしても、小細工がなく趣があり、おおらかな印象が定着している。初代は東本願寺の御用達として、紋菓などを納め、知恩院・近衛家・小林一三・川合玉堂・富田渓仙ら多数の名士方の元にも親しく出入りが許される。ニ代目は特に、句仏上人から愛顧いただいていたという。都をどりを連想させる、末富ブルーも有名である。
初代は元々、清水寺の屋根を葺く、檜皮葺を生業とする家の出であった。明治二十六年亀末で修行し、別家で家を持つ。俳句を作り、絵が好きで自らも描き、趣味も広かったようである。
うすべに
表千家合宿でいただいたお菓子。白い麩焼きせんべい生地を刃物で二つにはがすように切り分け、中に梅びしお味の餡をいれて合わせたもの。ほどよい梅びしおの酸味が魅力。もともとあった干菓子を独立させて売り出し、評判になる。
曙とも、おぼろ夜の桜花、露けき朝に咲き出る槿月下にほのかな紅葉の色、雪をかぶった紅梅とも見える淡紅色は、四季を問わず心をなごませる品位あふれる彩りです。
両判や光悦などの麩焼きせんべい
両判:大判小判型のせんべいに黒砂糖や甘辛の蜜をしいたもの。
両判は良晩に通じ、春は一刻価千金。
秋は長夜の宴と人生を楽しむと言われております。
光悦:半月型の味噌味せんべいに琳派ゆかりの焼印入。
琳派ゆかりの意匠、
「光悦垣・鹿・露草・蔦茶碗・松・梅」を描きました。焼印と味噌のかもし出す香味。
苦みが、このお菓子を枯淡の味わいに引き上げております。
裏千家御用達の留菓子
PHOTO by blogimg.goo.ne.jp
又新:織部のみどりを入れ、砂糖醤油のすり蜜を刷いたもの。
銀杏薯蕷(いちょうじょうよ):留菓子。(だが、三代目が唐招提寺のふすま絵(東山魁夷画伯)完成の際に調整した”山雲”という題のお菓子が評判を呼ぶ。葛を軽羹で巻いた趣向。毎年6月に唐招提寺に納めるだけで店売りはしない。)
東本願寺別注
石榴糖(ざくろ糖):葛饅頭。くちなしと仁で染めて、大徳寺納豆を潰し入れている。
光悦善哉
夏だけしか作らないと強調している光悦善哉。
京都では、暑い時期に熱いものを食べて
一汗かく食生活が良いとされてきました。
暑気払いになる銘菓です。餡を乾燥させて砂糖を加え、
餅米を用いて煎餅状にした種で包んだお菓子です。
熱湯を注いでかき混ぜていただきます。お菓子には、光悦の好める
「鷹峯の垣やつぎ色紙の模様・舟橋の硯箱」
などの形を真似てお作りしました。
尾張屋
本業は御蕎麦司。有名な”そば餅”は、十三代目尾張伝左衛門草案と言われている。
そば餅
表千家合宿にていただいたお菓子。そば餅と書かれているが、餅ではなく焼きまんじゅう。その日持ちのよさから数ものとして重宝される。一個づつ、風雅な紙で包まれた、民芸調が最初受ける。
黒砂糖の匂いが残る漉し餡、練り合わされたそば粉と小麦粉皮の焼き加減。その薄い皮がと餡がピッタリ合って、少しだけかかった黒ごまがさらなる風味を添える。京都でも通に好まれている。
そば板
京の御霊神社から伝わる由緒あるものとされる。そば粉を練って2センチ幅、6センチくらいに切り焼かれた香ばしい板菓子。お茶会では干菓子としても形良く積まれている姿を見かける。ポリっと歯当たり良い割に、口の中でするすると溶けてしまう硬さ。
亀屋良永
御池通りに面した亀屋良永。素朴な小壺に季節の花が活けられたウィンドウは一見の価値あり。かならずご主人が活けるそう。
御池煎餅
短講にてでたお菓子。生粋の江州米のもち米粉に砂糖を加え、亀甲目に焦がし、みつを薄く塗り、また焼いたもの。戦時中一時中断していた御池煎餅は、戦後復活。干菓子の一種でやさしくて脆い。ふやきの一種。
松屋藤兵衛
この家の先祖である、丹波出石城主で前野但馬守という十万石大名が、関白秀次の付人として大徳寺への出入りをはじめ、茶道に通じ、千家家元や格式高い寺との交際から茶の道に詳しくなる。やがて、茶道に関わる品々の用達から、茶会の菓子の吟味、そしてついに菓子をつくるにいたったと伝えられている。
この付近は、大徳寺につながる店が多く、茶道家元も近いので、豆腐、納豆、揚げ物、がんもどきなど、普通の店のものでも、伝来の味を引き継ぐ店が多い。
味噌松風
短講でも登場したお菓子。
「早よう行かんと売り切れる」と、京都では有名な 松屋藤兵衛の味噌松風。大徳寺納豆の香りと塩味が独特で、通の人や茶人好み、酒飲みにも好まれる味である。別名を「紫野松風」とも。大徳寺ともゆかりがあって、必ずこの菓子を使う茶会もあるそう。
おり姫
西陣の糸玉から着想を得て作られたおり姫。5色のつぶつぶは、手作りの面白さがある。生砂糖の中に、寒梅粉を混ぜたもの。赤は梅干し入り、緑は柚子入り、白は胡麻、黄は生姜、淡茶は肉桂、と、一粒ずつ味が変わる。干菓子ほど脆くないので、口当たりが面白く、パステルカラーが目にも美しい。老若男女好まれるお菓子。
通い路
納豆入り落雁。路地の石に見立てた渋いデザイン。
御倉屋
量産をしない。デパートに出さないことをポリシーに。お客さんと直にふれて手渡ししたいという、そういった気持ちでお菓子をつくっている。
夕ばえ
秋の山を写したもの。都の西北にある、こんもりとしておとなしい山。夕ばえも、こんもりとして、さわれば崩れるような、もろいお菓子である。白あんに、卵の黄身を混ぜて、まるめて焼く。その頭に焦げ目をつけて、ふわーっと割れているのが、いかにも夕映えの感じである。
茶菓子だけでなく、この夕ばえにブランデーやウイスキーを少しかけると、コーヒーや紅茶にあうので不思議。
旅奴
なんとなく南方のおもむきのある旅奴。カステラ生地をちいさく手でちぎって、焼いたのに、アク抜きした黒砂糖の衣をかけたもの。
笹屋伊織
どら焼
東寺土産に人気なのが、笹屋のどら焼。21日の弘法さんの縁日前後の、三日間だけしかないというもの。
どら焼は餡巻き。小麦粉を主にして焼いた皮に餡を乗せて丸く巻いてあるもの。その皮はもち粉のようにもっちりとしている。この皮の口当たりの良さと、さらっとしたこし餡の量が絶妙である。竹の皮に包んで提げられるパッケージの見た目もよく、食べる時は、皮ごと輪切りにして食べる。
むかしお寺では、鉄板のかわりに銅鑼をつかったとかで、東寺のお土産にふさわしく、どら焼という銘がついたそう。
満月
もとは出町柳で商売をしていた満月さん。戦時疎開中に出町柳のお店はなくなってしまい、仕方なく百万遍へ移転をした。その時は、餡をたく釜も、皮を焼く道具もすべてなくなってしまい、戦後0からやり始めた。このタイミングで機械化が始まる。通りからもよく見え、通りすがる人々を楽しませる。
阿闍梨餅
もちもちした皮にたっぷり入った粒餡。甘さもしつこくないので、昔から評判であった、京都土産のど定番。もち米と卵とお砂糖で、むっちりした皮をつくり、餡はすこしこんもりするぐらいたっぷり入れるんだそう。昭和のはじめの頃、お菓子屋さんのおまんじゅうは、五銭が相場のところ、阿闍梨餅は二銭で買えて、庶民には嬉しいおまんじゅうだった。
田丸弥
基本的には、煎餅屋。冬にまれに出てくる京の冬という水羊羹も絶品。北大路よりも上にある立地ならではのお菓子が楽しめる。
京の冬
寒い日の夜に作られ、夜明けの冷気で固める水羊羹。越前塗りの船のまま届けられる。「明日の朝の冷え込みはきっと厳しいやろなぁ」と思った時に、夜からあずきを炊きはじめるという。寒天を混ぜて、粒子があらくならないように、マキで気長に炊く。いつもあるとは限らず、あらかじめ注文しておく。寒い日にこたつに入って冷たい水羊羹をへぎですくって頂くと、えも言えない幸せである。
白川路
メリケン粉に味をつけて山里ごまを入れて薄く焼いたもの。田丸弥は基本的にはこの白川路を焼いて商いをしている。その他、大徳寺納豆を摺り込んだ”味噌半月”やピーナッツ入りの”貴船菊”、”味噌半月”など、どれもお茶うけによい。
大黒屋鎌餅本舗
お鎌餅
洛中と洛外の街道筋を結ぶ出入の口を、京の七口と言った。粟田口・丹波口など。鞍馬へ通じる鞍馬口もそのうちの一つ。寺町通の北のどん突きにあたるのが鞍馬口通り。
賀茂川にかかる出雲路橋を渡ると、下鴨になり、ここら一帯が田んぼだった頃、お百姓さんが町へ物を売りに出る時一服する茶店があり、その茶店には鎌の格好をした餡餅をうっていたという話がある。鞍馬口に近い大黒屋の”お鎌餅”も、やはり鎌の刃の形に似せたもの。
しかし、こちらは、茶店の味ではなく、立派な生菓子。控えめな甘みで、羽二重のようなやわらかくすべすべの求肥皮。普通、求肥というのは、もち米粉に倍もの佐藤をつかうんだそう。そこに、へらで濾したこし餡を詰めて、細長く鎌形に作られている。皮と餡とのなれ具合が絶妙で、餡にはかおり程度の黒砂糖が使われている。
でっち羊羹
むかし、近在の農家の子供はたいてい町へ丁稚奉公にでていた。休みは盆と正月の2回だけ。親は、子供が奉公先へ帰る時、竹の皮包みの羊羹を蒸しあげて主人へのお土産につくったという。
炊いた餡に小麦粉を混ぜて、黒蜜でヘラにのるくらい練り上げ、それを皮包みにしてじっくり蒸されている。ひなびた味のけっこうなものである。名前の由来は、丁稚さんが持ってきたから、丁稚さんでも帰るやすいものだから、でっちる(つくねる)意だから、など、諸説ある。
神馬堂
すぐ隣に神馬があったので、神馬堂と名付けられた。むかしは茶店だったので、鞍馬、岩倉あたりへの往来の人がいっぷくして焼きたてを食べていたという。
やきもち(葵餅)
上賀茂の名物。上賀茂葵祭りにかけて、葵餅との別名もある。
「上賀茂名物 人問はば
此と答えん 葵餅
味で売ります 神馬堂」
という文句の、染め抜きのれんが印象的。
亀屋伊織
400年を越える歴史を持つ、お茶会用のお干菓子を専門にしている。お茶会の趣旨にあわせて完全受注生産にてお干菓子を用意する。伝統の手法を守り、今も家族だけで作り続けられている。代々、季節に合わせた意匠を考案し、残しているが、代を超えて残る菓子は一つか二つ。
顔を覚えてもらい、人間を知ってもらうためにも、配達は大事な仕事と考えており、いくら優れたお菓子をつくってもよい人間関係がなければお菓子というものは売れない。その配達の際に気をつけていることは、長居せず、余計なことは喋らないこと。長居をすれば、お家の内情をしることになる。いらんことのひとつやふたつしゃべることもある。長きに渡ってどのお家にもかわいがって頂くためには喋らんことが一番なんだとか。配達と菓子作りは車の両輪。「つかず離れず」をもって旨とし、そのかわり、どこにも負けないよい菓子をつくる。これが京の老舗の生き残りの知恵だと十七代は語る。
二月:きつね面とねじり棒
2月といえば、初午。伏見稲荷の豊穣祈願祭りを思わせる意匠。十六代伊織が考案した。戦時中だったこともあり、まともな菓子作りをスタートできたのは、70を超えてから。十六代伊織にとってはたった一つの代表作となっている。
四角の麩焼きせんべいを三角錐にくるりと巻いて、目を焼印で押し、白砂糖をさっとかけたもの。せんべいをこのように立体的に仕上げたものは、亀屋伊織さんでは唯一これだけなんだとか。それに、紅白の有平糖をねじったねじり棒を取合せると、祭囃子が聞こえてきそうな景色です。
六月:瀧せんべいと青楓
六月は、押しものではなでしこ、おもだか、青楓(かえで)、瀧せんべい、蛍せんべいなど。ことのほか喜ばれたのは、この臨場感溢れる瀧を表現した瀧せんべいである。
短冊形のせんべいに白砂糖をかけただけ。白の陰影だけで瀧が浮かび上がる仕掛けだが、その時々の筆遣いによって水の流れが変化するところは妙味につきる。手仕事ならでわの効果である。
十一月:吹き寄せ
晩秋の風情を干菓子に表したのが吹き寄せ。栗、松かさ、銀杏、きのこ、いちょう、松葉、もみじと、色とりどりの七種の形を寄せ集めてある。どれもこれも他の菓子屋とちがい、やわらかくておお振り。形もおおざっぱ。
押し物の手法は四種類にわたる。
・栗とまつかさなど…かんばい粉や砂糖を調合して木型に押して作る。
・銀杏…つくね芋と砂糖を練りあわせて木型で押したもの。(亀屋伊織では、押し物とは呼ばずに、芋つなぎと呼ぶ。)
・もみじ、いちょう、松葉…州浜という豆の粉と砂糖をねったもの
・きのこ…砂糖蜜を煮詰めた有平糖。
・以上四種の他に、せんべいがある。
お茶席では、色形と口触りをかんがえて、これら5種のうちから二種の技法を使った、意匠の異なる干菓子が一組にして出される。吹き寄せのように、四種類もの技法、七種類もの意匠を一度に供することはまずない。
もともとは、吹き寄せは「ため寄せ」呼んで、売れ残りをためて、ごくごく親しい方におわけしていたのを、いつのまにかお茶人が面白いといって、吹き寄せという一つの表現に作り上げられたものであるという。
秋の華やぎを写した菓子でありながら、その成り立ちは、いかにもわびたお茶があり、京の暮らしが感じられる。
おいしい和菓子は世界を救う
以上でございます。京都観光に来られた際にも是非お試しくださいませ。