カタロニア讃歌 ジョージオーウェル 読了

近頃ハマってます。ジョーオーウェル

トロツキズムの流れをくむマルクス主義統一労働者党(POUM)でファシズム政権と戦ったスペイン内戦時代の自らの経験を書いています。

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感想…

戦線離脱にあたり、作者は喉に玉を当てている。その弾丸に当たるという経験を生々しく描いているのは、一つ興味深かった。

 

それにしても、もっと初めから①の団体の人たち(後述する)が連合していれば、もっと違う歴史があったかもしれないのに、小さな意見の違いでグループが分かれるのは、世界中どこにでもあることなんだなと思うと少し残念。きっと各党のリーダーの小さなプライドとかもあるのだろう。

そう意味では、ある程度一つの思想や考えを力でまとめあげて進めていく、独裁的な一面というのは、必ずしも否定できない要素なのかもしれない。

 

戦時中なので、情報戦があったにせよ、世界中で隠蔽された事実。結局マスメディアで流される情報がどれだけ正しいかということは、今や自分自身でリテラシーをつけていくことが大切だと改めて思った。

 

国内部の共産党を使って、こんな他国の民主化運動にまで、口を出して思い通りにさせようとするソ連の発想方法を見ると、一人一人はいい人であるかもしれないが、国単位・組織で見た時に、昔からロシアはそうやって、従わせたい国であり、そのためなら手段は選ばないのだ。

しかも同じ共産主義であっても、少しでもスターニズムに合わない部分があれば、それはもはや敵なのである。一神教にも近いその思想統制には驚かされる。

スペイン自身の利益のためでなく、ソ連の国家的利益のために行われた海外での粛清や弾圧には衝撃を受けざるを得ず、さらにそこに民衆が気づかないようにうまくマスメディアを動かし、デマや虚偽によって隠蔽されていることには、言い知れない歯がゆさを感じてしまう。

そう考えると、ロシアへ行ったときの、少し高圧的な雰囲気は、なるほど、そうなってもおかしくないかもしれないな、と思った。

 

スペイン内戦を通して、世界のその後の動きや、ソ連が関与するとはどういうことか、平等主義的精神世界は現実に存在しうるのだろうか。

事実に基づいて考えさせられる一作。

オススメです。

以降、ネタバレご注意ください! 

カタロニア讃歌 (岩波文庫)

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出てくる主な団体

オーウェルの組するトロツキズムの流れをくむ、マルクス主義統一労働者党(POUM)、社会主義左派やアナーキスト義勇軍など幾つかの団体

何の規律も訓練もない烏合の衆。武器も常に足りなく、常に何十年も前の旧式のものだった。みな平等を夢見た労働者たちの本当に平等な組織。命令に服従するのを拒否しても、すぐに処罰するのではなく、まず「同志」の名において説得する。あらゆる階級の者に同一の給料が支払われる。普通の軍隊で行なわれている弱いものいじめや、職権を傘に着るような行為は絶対に許されない。個人的な逃亡兵さえほとんど出なかった。そんなのでは「うまくいかないよ」と一笑されそうだが、なぜだか終いには確かに「うまくいく」ようになっていった。まさに、階級なき社会という小宇宙である。この平等主義的精神に感動したオーウェルはPOUMと共にファシズムと戦う。

アナーキストたちの大まかな見解

ブルジョワ民主主義(デモクラシー)は資本主義の別名に過ぎない。その点はファシズムも同じ。デモクラシーのためにファシズムと戦うのは、第ニの形式の資本主義を擁護するために、第一の形式の資本主義と戦うに等しい。しかもこの第ニの形式たるや、いつでもすぐさま第一の形式に逆戻りする危険性をはらんでいる。この輪廻を絶つためには、労働者による支配をおいてほかならない。」

しかし、とにかく「アナーキスト」という曖昧な名称は極めて多様な意見を持った大勢の人々を含んでいるので、このように明快に説明ができないのが事実である。

 

フランコファシズム

フランコの反乱は、貴族階級とカトリック協会に支持された軍部の暴動だったので、ファシズムを押し付けるというよりは、封建制を復古するという企みだった。その点でヒトラームッソリーニとは厳密には違っていた。

また、このため、フランコは労働階級だけでなく、いろいろな階層の自由主義的資本家階級(ブルジョワジー)をも敵に回すことになった。

 

③スターニズム共産党

実際はソ連の実行機関。言うことの聞かない労働者アナーキストトロツキズム共産主義たちによる支配ではなく、いうことの聞くブルジョワ・デモクラシーを目指している。そのため(社会主義なのに矛盾しているようだが)フランコが敵に回した、色々な階層の自由主義的資本家や政府はこちらを支持する。

 

*実際は、①②③による三つ巴の戦いだった。しかしこの実際の姿は、国際的には意図的に隠蔽される。

 

実際に起きた革命の経緯

労働者たちは、反乱が起きると同時に即動く。戦争の最初の数ヶ月、真剣にフランコと戦ったのは政府でなく労働組織だった。

政府軍は、フランコの反乱は随分前から予測されていたにもかかわらず、何の準備もしなかったしその態度は優柔不断だった。実際、首相が1日のうちに3回も変わるほど酷いものだった。

ファシスト軍は、主に労働階級の巨大な努力によって打ち破られる。

労働者たちは、すでに土地の大半・大企業を手に入れ、共有させており、政府を転覆させ政府と入れ替わるだけの実力を持っていた。しかし、そうしなかった。この時点では、純粋なアナーキストトロツキズム共産主義者などは、古くからの嫉妬もあり、連合するなどはできない相談だったからだ。

この時点でのスペインは、最終的にどのグループが支配権を握るかによって、社会主義へ発展することも、普通の資本主義共和国へ戻ることもできる状態だった。

1936年10月〜11月の間、ソビエト連邦が政府に武器の供給を開始する。

同時に権力がスターニズム共産主義者へ移行し始める。一つの明確で実際的な政策を持っており、戦争を着々と遂行しているため、戦争を勝利に導くことのできる唯一の人々のように見えたからである。

やがて、反ファシズム人民戦線内部に勢力争いが起こり出す。

共産主義者たちは、労働者アナーキストトロツキズム共産主義者社会主義左派たちの革命の、最初数ヶ月の間に見られた平等主義的精神を計画的に撲滅し始める。

共産主義者の手によって、1937年秋には、ほんのしばらく労働者の国家と見えていたものが、あれよあれよという間に、貧富の差のあるただのブルジョワ共和国へと変身した。ファシストのシンパであるという嫌疑で亡命していた国会議員たちもスペインへ帰国しつつあった。

*このような移行が実現できたのは、その間も、ファシズム対抗のために、ブルジョワと労働者が人民戦線という形で一時的な同盟を結ばなければならなかったからである。

人民戦線同盟は本質的には敵同士の同盟であり、いつも決まって一方が他方を飲み込む結末で終わってしまいがちであるが、スペインにおける唯一の特徴というのは、政府側の諸政党の中で、共産党極左ではなく、極右の立場にいたということである。

というのは当時、全世界の共産党は、ロシア政府の実行機関だったからである。

例えば野党であるフランス共産党

基本は与党を叩いているが、政府がロシアと軍事同盟を組んだ途端、与党を叩かなくなる。そんなことが世界中で起きていた。各国の共産党の行動を理解する手がかりは、その国のソビエト連邦に対する軍事的関係である。

ちなみに左翼的見地から、共産党の政策を批判すれば、誰でもとにかくトロツキスト呼ばわりされやすい。また、トロツキストとは事実上、人殺し・扇動分子などと呼ぶのと等しいのである。

1937年2月ごろには、労働者アナーキストトロツキズム共産主義者社会主義左派たちは、スターニズム共産主義者の策謀に対抗する必要上、両者はやっと結びつくようになる。

もし、初めから彼らが連合して、現実的な政策を推し進めていくだけの分別があったら、戦争の歴史はもっと違ったものになっていただろう。

*この頃の対フランコ側の大まかな勢力配列

労働者による支配を主張…アナーキストトロツキズム共産主義者社会主義左派等

VS

中央集権政府・軍隊化された武力を主張…社会主義右派・自由主義者・スターニズム共産主義

ソビエト共産党に支持される共産主義者たちの悪どい謀略やデマ宣伝などにより、ファシズムのスパイ容疑として労働者支配側は徹底的に弾圧され出す。その主な先導は共産党である。政府も、ロシアの援助を受けてる手前、共産党のご機嫌を損ねるわけにはいかなかった。

 

スペイン内戦に対する解釈

・国際的な解釈

ファシズム対デモクラシー…デモクラシーがファシズムに対抗して勇敢に立ち上がったように見えたこの戦いは、ヨーロッパのファシズムに反対するすべての人々の希望だった。民主主義国家は、これまでの数年間、ことごとくファシズムに服従していたからだ。

右翼的解釈…過激派に対するキリスト教愛国者の戦いであるという見方

左翼的解釈…軍部の反乱を鎮圧せんとする紳士的な共和主義者たちの戦いであるという見方

・実際

とくにカタロニアでは、無政府主義(アナーキスト)的労働組合合理主義者が権力を握る新しい革命だった。

・実際とは違う報道がなされ、事実は隠蔽される

全世界がスペインの革命を阻止するように動いた。とくに、ソビエト・ロシアに知り押しされた共産党は、全力で革命を圧殺しようとした。スターニズム共産党にとっては、今スペインで成し遂げられなければならないのは、労働者による支配ではなく、ブルジョワ・デモクラシーであるからだった。

それぞれの党や国の都合の良い解釈ばかり報道され、それが国際的な解釈になっていく。すべての報道で義勇軍が非難され、罪をなすりつけられ、革命は隠蔽される。ブルジョワデモクラシーが讃称される。

だいたいは、こう言ったデマや間違った報道をするのは、戦線んからかなり離れた場所にいる人やジャーナリストたちである。事実を見ていない人々がそう報道する。

 

スペイン内戦の歴史的な意味

ナチズム、ファシズムVS自由主義諸国

この形は、1936年7月18日に始まったスペイン内戦ではっきりした形をとった。

この内戦によって、ヨーロッパの政治情勢は大きく動き、第二次世界大戦勃発は時間の問題であることを人々は認識する。

同時に、ナチスドイツやファシストイタリアに対し、来るべき第二次世界大戦に備えて、格好の実戦訓練の場を提供した形になった。

 

その意味において、この内戦はすべてのヨーロッパの知識人たちに明確な態度決定と行動を迫るものであった。

自由主義諸国の知識人・労働者たちは、自由と文化を守り、「文明世界の良心」の担い手としてスペイン共和政府を支持するために義勇軍に加わり、ファシスト軍と戦った。

このように労働者や知識人が身を挺して戦ったのは、彼らがこの内戦を、ファシズムVSスペイン人民の戦いと受け止め、この勝敗は、明日の自国の運命に関わってくるという危機意識を強く持っていたことの表れであり、

また一つには、共和政府側を支持する方に回るべきはずの自由主義国(特にイギリス・フランス)が、微妙な国内・国際情勢を考慮し、スペイン不干渉協定を結んで優柔不断で消極的政策に終始したことに対する、民間レベルの反発・焦燥・憤懣の表れでもあったと言われている。

 

スペイン内においては、明確な政策を持ち、戦争に勝利していった共産党、援助をしたソ連の評価は飛躍的に高まり、共産党の数は急速に増加。発言が著しく増大する結果となる。これ以後、政府内部・各政治組織に浸透したコミュニストたちを通じて、ソ連、特にスターリン主義者たちの意思が、外部からスペイン共和政府の政策を大きく左右するようになり、さらに、事実を歪曲した虚偽の記事などが簡単に出回るようになるのである。

 

こうして、粛清や弾圧は、スペイン自身の利益のためでも何でもなく、ソ連の国家的利益のために、ロシア本国におけるスターリン粛清の二番煎じとして行われていく。