専業主婦という選択肢を受け入れる過程の話
先日ふと、こんな記事を見かけました。
これを読みながら、海外であっても夫婦ともに平等に不満なく過ごしていくというのは、そんな簡単ではないこと、また、自分自身がこの”専業主婦となる”ことについてあれこれと考えたことを思い出しました。
今回は、その頃に考えていた事を徒然と。
私は今、ありがたい事に専業主婦です。主人の収入だけで生活する事ができる環境にいます。
これまではというと、大学卒業以降は、新卒で雑貨メーカーに入社。
営業事務→WEB営業→外回りの営業を経験。結婚後も1〜2年ほどですが働いておりました。
出張などもあり、家事との両立は正直ハードでしたが、お客さんとのやりとりや、同僚にも恵まれ、仕事自体はやりがいがあり、楽しかったことを覚えています。
その後、退職→主人と共に沖縄へ引っ越します。
沖縄では特に職にはつかず、専業主婦という立場で毎日を過ごしています。
主人の収入だけでも生きていけるという事は、とてもありがたい話ではあるのですが、しかし、もともと仕事中心に生活を送っていた私にとって、突然専業主婦になるという選択肢は、受け入れるのに少し時間がかかりました。
今日は専業主婦になるという事がなかなか受け入れられなかった事と、自分の中でどう受け入れていったかを振り返ってみます。
PHOTO by https://pixabay.com/ja/
専業主婦である自分の漠然とした不安
まず、専業主婦序盤です。この頃はこの自分の置かれた状況に対して、漠然とした不安がありました。
その理由を以下に書いていきますが、ちなみにこれは、後で振り返って「こういう不安があった」という事に気付けた後での話です。不安の渦中にいた頃は、この不安の理由すらわかっていなかったと、今となっては思います。もっと早く気づいて入ればモヤモヤもさっさと晴れただろうに。笑
不安1:何もない自分/社会と繋がっていないという不安
沖縄に引っ越してきて、しばらくたって生活にも慣れてくると、まず襲いかかってくる漠然とした不安があります。「私、働かなくていいのか?」ということです。
主人の収入があるので、状況としては働く”必要性”はないのですが、やりがいというか、生きがいというか、何もない自分に不安感を抱いていました。
これまで、幼稚園に入園して以降の人生は何かしら肩書きがありました。「〇〇大学の学生」「〇〇会社の〇〇」といったような事です。
しかし、今は何もないのです。入園前の子供に戻ったような気分です。強いて言えば「〇〇の妻」ではありますが…。何をしているのかわからない(=肩書きがない)という、この社会と繋がっていない感が不安でした。
初めて出会った人に対しても、なんと自己紹介をすればいいのかわからないくらい。「何をしているのですか?」「特に何も…」と答えるのに、はじめは勇気が必要でした。
不安2:成長していないのではないかという焦りに似た不安
とにかくまだ子供もいないので、毎日「しないといけない事」といえば家事です。(ニュアンスが難しいですが、決して家事では成長しないという意味ではありません。)
年齢的にも、もし転職するとしたら最後のチャンスとも言えるこの時に、もっといろいろ学んで経験しなくていいのか?という、成長(キャリア)が止まって置いていかれているような不安感。第一線で活躍している友人の姿や、WEBで流れてくる華やかな仕事をしながら家庭と両立させている女性を見るたびに感じる焦り。
いっそ子供を作ってしまった方が自分の成長のためにいいのではないか?という考えが頭をよぎった事もありました。でもそんな利己的な理由で無計画に子供を作ってしまうのは、それこそ違うのですが、そんな事を考えてしまうほどでした。
不安3:何がしたいのかわからないという不安
これまでは、その「肩書き」のおかげで、ある程度目標(目指すもの)が定められていました。学生なら「勉学」。社会人なら「会社の成長」や「売り上げ達成」などです。
今は、その「目標」を自分で見つけなければなりません。
厳密にいうと「何かを目指す」という状況です。私にとっては、何か目指すものがあるという事は、何にも変えがたい人生のハリになり、生きがいです。
しかし、いざ何の肩書きもなくなると、そもそも、これといった人生の目標がない事に気づきます。しかし、何がしたいのか、よくわからない。
もちろん「家内安全」「夫婦円満」「幸せな人生」などは人生の目標としてはあるのですが、ちょっと漠然としすぎています。もう少し、小さな。毎日、一歩を踏み出している感覚(成長)が得られるような、具体的な目標です。
いっそ就職してしまった方が、人生に置ける小目標を与えられて、楽だ。と安易に考えて、そのために働きたいと言っていた時期もありました。
自分の居場所・何者なのかを示すために働く…本当にそれでいいのか?
以上のような漠然とした不安がありながら、葛藤もありました。そんな自分の漠然とした不安のために働き出していいのだろうか?この年齢で、こんなに自由に使える時間が得られるというのは、本当に貴重な事なのに。
しばらくは、そんな葛藤とのせめぎ合いが続きます。
受け入れられるようになったのは「不安の正体」に気付いてから
はじめにも書いたように、不安の渦中にいた頃は、その理由にすら気づけていませんでした。漠然とした不安を払拭するために、自己啓発系の本を読んだり、瞑想したりヨガしたり、今思えば宗教じみたセミナーに行ってみたり、いろいろしました。
しかし結局、不安が払拭できるようになったのは「不安の正体」がわかるようになってからでした。
つまり私は前述したように、
・何もなくて、社会とつながっている感がない事
・成長している感がない事
・目指すものがない事
これらが不安の正体だったのです。不安がわかればあとは解消するだけです。
不安を一気に解消する方法=熱中できるものを見つける
以上の不安を一気に解消する私なりの方法は「熱中できるものを見つける」という事でした。
これまでは「熱中できるもの」が「仕事」でした。仕事を通じて、社会と繋がり、何かをして、毎日成長しながら、目標を目指しているという充実感を得ていたのです。
これからは、仕事を通じてではなく、自分の趣味を通じてでもいいのです。もちろん家事でもいいのです。仕事をしなくても生活できるのであれば、存分に自分のやりたい事に注ぎ込めばいいのです。
私の場合これが、ゴルフ・英語・サルサの上達にあたります。(これだけ書いてて、一つに絞りこめていないのが、私の優柔不断なところなのですが…;)
関連エントリ>謹賀新年:ご挨拶と今年の抱負 - 日日是好日 なにげな日記
解消1:〇〇(趣味)をしているとハッキリ言える/趣味を通じて社会と繋がれる
それが趣味であったとしても、熱中するものがあればそれは自ずと自信に繋がり、「〇〇をしています。」とハッキリ言えるようになってきます。またその趣味によって話題も増え、社会(人)と繋がる事ができるようになります。
今までは主に仕事に関連する話題であったのが、趣味を深める事で、仕事以外の自分の好きな事に関する話題で人と繋がり、盛り上がる事ができるようになったのは、大きな収穫でした。
解消2:キラキラ輝ける成長の場は何も仕事だけではない
これは仕事を辞めるときに強く感じた事なのですが、仕事でないと成長できないわけでは決してありません(これをすっかり忘れいたのです)。私の退職理由の一つに「(非常に傲慢な表現ですが)今学びたい(やりたい)事は、ここにない」と思った事でした。
働いたからといって、特に何も考えず、目標もなく、ただ時間を過ごしてお金をもらうだけといったような仕事スタイルもあります。仕事のスタイルは人それぞれなので、それについて言及するつもりはありませんが、自分の求めるスタイルとはまた違うのは事実です。
仕事であれ趣味であれ、「こうなりたい」という目指すものがあって、それに熱中できれば、日々は充実しキラキラ輝きだすと私は思います。
不満が出てくるその原因には「自分が輝けていない、その原因は〇〇だ」といったように外に問題を作り出した結果なのではないか、とも思われるのです。
解消3:何がしたいかがわからない不安がなくなった
これはこの言葉の通りですが、熱中するものが見つかると、何がしたいかわからない不安はそのまま解消されます。
不安解消のその前後に起きた出来事
とはいえ、やりたい事がすぐに見つかったわけではない
ちなみにこの上達させたい事というのは、すぐに見つかったわけではありません。しばらくはモヤモヤうろうろする日々を送っていました。
様々な本を読んでみたり実践して見た中で、良かった事をご紹介します。
まずは、やりたい!やってみたい!と、少しでも思った事を全部列挙します。
そのあと、約半年ほどかけてゆっくりと無理のない範囲で順番に挑戦してみます。やりたいと思っていても、挑戦しなかった事や、続かなかった事は、結局そこまで興味がなかっただけの可能性は大です。ここで重要なのは、そんなに興味が沸いてないのに、惰性で続けない事です。さっさと損切りして、次の挑戦へ移ります。この考えは、我が家愛読のちきりんから学んだ考え方です。エントリ>自分の時間を生きるために!生産性を高めて「自分の時間を取り戻そう」読了 - 日日是好日 なにげな日記
ちなみに、熱中項目に「家事」を入れた事もありました。しばらく熱中していましたが、これはすぐに飽きてしまいました。私にとってはいつまでも家事に熱中するというのは向いていないようです。
「もう、挑戦してみたいと思う事がない」なら、しばらく挑戦は休憩です。また、挑戦してみたい事ができたときにスタートすればいい。
このときの私なりのポイントは、一人でじっくり考える時間をしっかり作るということです。この考えは、エッセンシャル思考という本を読んだときに学んだ考えですが、エントリ>頑張ってるのに全てが中途半端。成果が感じられない時に「エッセンシャル思考」という考え方読了。 - 日日是好日 なにげな日記 実際に、定期的に一人でじっくり考える時間を作り出してからは、ポンポンとアイデアややりたい事が出てきて、とてもワクワクした時間を過ごす事ができました。ペンとノートで自由に楽しい事を書き出します。頭の中での一人会議は、実践した上でのおすすめ方法です。
自分の趣味の時間を作るために家事は時短を心がけるようになった
やりたい事が出てくると、自ずと家事の時短を意識するようになります。だらだらと家事をするのであれば、その時間を趣味の時間やもっと他の時間に当てたくなるのです。
これは、将来的に子供ができたときや、働かないといけない状況など、今よりもっと忙しくなったときの備えにもなる考えています。家事の時短に関するアイデアは日進月歩です。たまに情報をアップグレードしていきたいと考えています。
自分を見つめるきっかけになった
自分の中の真なる欲求は何なのか?自分が本当に好きな事はなになのか?
今まで忙しいととても考える余裕がないそんなような事を考えるいい機会でした。
これらに派生して、夫婦関係:自分は何にイラつきやすいのかというアンガーマネジメントや、何が心地よいと感じるのか:ストレスをためないための自分との付き合い方、美容:自分に合うファッションや美容は何か。など、本当の意味で生活をよくしていく方へ考え方を学ぶ機会にもなっています。
*****
これらは、つい最近私が感じた事ですが、
同じ不安を感じている方がいれば、少しでも気持ちが楽になれば嬉しく思います。
関連してそうな記事▼
ブログって、こういう形で当時の自分の悩みや考えも振り返りできて面白いですね。
また、こちらはこのテーマに絡む気になる本。
内容としては、ちきりんの
マーケット感覚を身につけよう。に書かれていたようなことの実例、といったところでしょうか。
マーケット感覚を身につけよう---「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法
- 作者: ちきりん
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2015/02/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (26件) を見る