苦海浄土〜わが水俣病〜 石牟礼道子 読了

つい、先々月かに初めて訪問した

水俣市水俣病資料館。

偏りすぎる事なく、両論併記された非常に質の高い資料館だったと思う。現代の日本の発展がどのような形で、犠牲で、成り立ってきたか。当時としては、チッソなしでは得られなかった、輝かしい国や市の発展の歴史の裏側にある、影を知る手掛かりとして、とても興味深い。

もはや豊かな時代に生まれた私なぞには、知り得ない事実が紹介されていた。日本人として目を背けず、訪れるべき場所だと思った。

 

詳しい訪問レポはまた次回旅ブログで書くとして、その資料館で紹介されていた苦海浄土を今頃ですが読み上げました。

 

苦海浄土 わが水俣病 (講談社文庫)
 

 



工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき“いのちの文学”の新装版。

 

水俣病患者の、一人一人の人生を、さらに深く追った、まさに鎮魂の作品。両論併記かどうかの評論はさておき、これを読んで、心を打たれない人があろうか。

ありきたりな言葉だけど、豊かな日本が生まれた裏には、こんなに尊い命の犠牲があった事に、言い知れぬ皮肉を感じる。

 

また、この作品を読んで強く感じた事は、無知であることの恐ろしさ。

現代視点で振り返ったところで、栓無きことではありますが、猫や、海、臭いに、日常とは違う、不審な様子は現れていたようです。

人類史史上初となる水俣病事件。明日は我が身で、史上初の事件が起きる時というのは、恐らくは今でも、ゆるゆると序章が現れ、そして突然に起きることなのでしょう。

周りに流されるだけでなく、自身が置かれている状況は自らの意思で判断して、場合によっては環境も変えるような、、、そんな形でしか、きっと、無力な私は、大切なもの、家族を守れないなと。そんな風に思った次第です。